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「みんなと同じ本を読んではいけない」という新聞広告と宣伝記事で三谷宏治「戦略読書」の本の内容を考察する。

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新聞の広告を見ただけで、頭の中でぐるぐると思考の渦が出来ていくのを感じた。

ブクログというサービスをここ2、3年利用しているけど、本棚を見て、私とそっくり!というものは、見たことが無い。
昔からそれぞれ読んだ本に対し、周りの人とこの本は同じ、ということはあれど読書の総体、というか全体像が似通った人は見たためしがない。

検索してみると、ダイヤモンドのHPに宣伝と思われる抜粋記事が掲載されていた。

みんなと同じ本を読んではいけない! 読書には「戦略」が必要だ

冒頭、読書についての皇后さまの話などが出てくるのを読みながら、私の読書遍歴における偏り、について記憶をたどっていた。

小学生時代

印象に残るのはタレント本。タレントの書いたエッセイやドラマのシナリオ、ドラマノベライズが多かった。
テレビと芸能人、特に俳優女優が私の興味関心の中心だったから。
吉田豪さんにはとても及びませんが、ザ☆テレビジョンやESSEを当時ほぼ読んでいたので週次・月次での連載エッセイを読んでいくのに加えて単行本を見ていたので、テレビだけを見ていた同級生とは全く違う世界をひた走っている自覚はあった。

あとはシャーロック・ホームズ筒井康隆さん。

家族八景での「水密桃」を読んだとき世界が崩れ、蟹甲癬や問題外科(いずれも宇宙衞生博覽會)といった作品では、こんな発想がととにかく夢中になったなあ。

中学生時代

いちばん読書に縁遠い時期。
実は夏目漱石や太宰などにチャレンジして、余り面白くなかった印象が強い。

途中で挫折した本多数。そして「千円札の人の小説が好みじゃなかったのだから、こりゃ文学部は無理だな」と、中三の時点で文学部への進学という選択肢を閉じます。

結果大学時代に太宰再読して面白い!となり、大学の授業は基本文学とは全く関係ない学問(でも自分の最も興味のある分野)を学びつつ、「文学部の人より本を読んでいる」と言って頂ける生活を送ることになるのですが。

高校時代

マンガを読んだり、オールナイトニッポンのネタを書いたりと、本を読む以外の読書と書く方が印象的だけど、図書館司書の方が素敵で、模倣犯OUTレディ・ジョーカー白夜行とかの分厚い単行本を手に取り、休み時間ストーブに当たりながらダ・ヴィンチを読んだりして図書室が大好きだった記憶が。

あとは、手帳術本をあれこれ集めて読みだす、といったようなテーマ読みが始まった気がする。

大学時代

年300冊以上読んでいた。時間がある、学生時代最後の時期、ということを踏まえて「なるべく岩波を」、そして「辛くても最後まで読み切る」ということをテーマにしていた。修行感覚。
この頃によくわからないギリシャ人やロシア人の名前をちんぷんかんぷんになりながらひたすら相関図との行ったり来たりをしたり、
旧仮名遣いの文章を一行一行読んでは脳内で現代語変換していく、という時間を過ごせたから
現代語文の文章=易しい、というイメージを持って読めるようになったという財産が出来た。

あとは教養科目の国語の先生に恵まれ、芥川賞候補作の読み比べとか、とかく中途半端に古い作品を発掘してばかりだった自分に最新の日本文学という刺激を与えてもらったことには今でも大変感謝。

思えば生協での「読書マラソン」という企画で大学のなかでいちばんマラソンカードを提出していたのは大学時代の嬉しい出来事上位です。

社会人

社会人になってから、読書のポートフォリオというものを意識し、一度ざっと4分割して、小説、教養、ビジネス、あと何かに分けてそのバランスを満遍なく選ぶように意識していた時期もあった。
いつの間にか忘れてしまったけど。でも今も本を何冊か選ぶときは全部小説!全部新書!みたいなチョイスはよっぽど重点テーマに取り組むとき以外は避けてますね。


継続テーマ

事件もの

これは私が事件というものを媒介として、時代とか歴史とか社会、世界を知っていくから。
このテーマに関する書物を読んでいくことはやめられないと思う。

戦略読書-わたしをかたちづくった事件に関わる32冊プラス9冊-

差別に関わるもの

中学時代の歴史で見た水平社から被差別部落問題の本、それからハンセン病患者の手記、あとは春を売る、吉行淳之介「驟雨」でいうところの澱が貯まっていくような女性が出てくる物語が持つ引力から離れられない。

しかし、人と人がただの貧富の差以外の家系、地域で作られたもの、病気、職業といったものを理由に上に見たり下に見たりするというものへのメカニズムは未だに、説明できない。

敢えて手を出していないテーマ

海外小説

新潮夏の100冊、に出てくるようなベタ作品はちょっと手をつけるけど、よく作家の読書道で書かれているような海外のSFやら小説やら、というものはほぼ読んできていない。名前を出されても?になってしまうことが多い。

これは特に高校時代以降、海外への興味関心が相対的に減少してしまったので致し方ないと思っている。
逆にここを無理して読まずに別分野に時間を割くことがあえて言うならば「戦略」なのではないか。
今振り返ってそう思う。

この判断について、本ではどのような評価が下されているか楽しみである。

でも経営戦略とかも自分の強みを生かすならば「やらない」ことを決めるのが定石だよね、なんて思ったり。


新刊へのアプローチ

新しい本に関しては、今回みたいな新聞の下のほうにある広告。それに日曜日の書評。
雑誌のインタビュー。あとは本の中で紹介されていたり、本の末尾に載っている新刊広告なんかも見ちゃうとある程度読んだ本と関連性がある本が載ってたりしてそこらへんピックアップしていってそれをリストにしておいてます。

この選択で余り外さないように出来るのは数多の失敗を2,000~3,000冊読む中で繰り返してきたから。
戦略読書ではそこまで本を読んでない、これから読んでいきたいという想定される読者層に対してのポイントが体系化・明文化されているのかな。

私の戦略(2016年現在)

  1. 古文をじっくり読む
  2. 得意の事件ものへの継続アプローチ
  3. ノンフィクションを読んで社会の在り方を考える
  4. ビジネスは自己啓発新刊ではなく、実務的な勉強になる本をその時の興味に合わせて。
    例えば今ならREITと確定申告、それから税についての学習、保険についての復習並びに理解。

これに即して、読みたいリストをつくろうかなと思いました。読みたいと思う本を声に出すことで、実現に結び付けたいですねと。


「戦略読書」内容考察。

さんざ自分語りしてきましたが本題に。
記事内に

読書の目的=自由に生きること

自由に生きるための3つの力

(1) 想像力
(2) 批判的思考力(クリティカルシンキング)
(3) 自己コントロールを支えるためのメタ認知能力

とありましたが、本読んでないのにここまでの想像力を呼び起こさせてもらいました。

三谷さんが選んだ戦略読書というテーマ、人と同じ本を読むな、人は読んだ本で出来ている、という惹句はとても魅力的なものでした。

私としては自分の経験と、そこから生み出した私の読書戦略が、三谷さんの提示する「読書ポートフォリオ・シフト」などと比べてどう違うのか、それをどう評価するのかという批判的思考力を持って挑み、読んだ結果自分になく、足りなく、出来れば良いなという判断を下して何をとり入れるのか、というメタ認知能力を使い、行動にまで落とし込むことができるのか。

現状人と被っていないと思っている私の本棚、さらにとがって楽しいものにするヒントが得られればいいなあ。

 

3つの力のなかで一番難しいのが批判的思考力なのかと思います。この本を読むときにこれが欠けると「独自の視点を生む435冊のブックガイド」をそのまま読んでいくと 「他人と同じこと」「ツマラナイこと」しか言えない人間になってしまうわけです。

そうならないためにこの本の中で、自分にないものは何で、どう取り入れるか?これはメタ認知能力なのか。

ちゃんと3つの力を意識しないといけないパラドックスを構成しているあたり、期待が膨らみますね!

みんなと同じ本を読んではいけない! 読書には「戦略」が必要だ

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