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裁判官は、あなたたち被害者に会う義務もないし、あなた方が裁判官に会う権利もない「なぜ君は絶望と闘えたのか 本村洋の3300日」門田隆将 新潮社

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いきなりなタイトルですが、これ被害者遺族に裁判長が言った言葉。この後に内容説明しますがインパクトあったのでタイトルにしました。

「もう今日は2冊本読み終わっているしほどほどに」と思っていたのに読みはじめたらとても止められず、「これは!」と思い外出して読書に専念。読み終わるまで熱中でした。

少年事件の本は神戸の事件で「をはじめとして奈良の事件でニュースになった草薙厚子氏の「少年A 矯正2500日全記録、加害者両親の両親自体も犯罪予備軍だなと世間に公表することになった本「少年A」この子を生んで……―父と母悔恨の手記」、読書ノートが無くて他読んだ本が出せないけどちょいちょい読んでいて先日は「心にナイフをしのばせて」を読みました感じですので、読みたい本リストには長らく入っておりました。

しかし読むにもパワーがいるなと思い1年くらい経ってしまったのかな。ようやくページを開きました。

山口県で起きた18歳になりたての現在死刑囚による母子殺人事件。その被害者家族のそれこそ3300日に渡る闘いを記した本。

残酷な殺人事件の被害者家族である本村さんへと応援の輪が広がって行く姿も見える本です。

なぜ、本村さんは絶望と闘えたのか?

一つは本村さんの生い立ちといいますか、大病を患い、学生時代に数か月以上に渡る入院を繰り返し、受験も病院で受け、高専へも病院から通う、というそれだけで1冊の本になるような幼少期を過ごしていて、一度の人生を太く、短く後悔の無いように生きよう、としていること。

治療の副作用で、子供ができないかもしれないと15、16歳の時に言われているんですよ。その逆境をはねのけて授かった赤ちゃんが、殺されてしまった夕夏ちゃん。

本村さんが、死ではなく、生を選んだのは死を間近に過ごしてきたことも関係していると思います。

もう一つは被害者からすると理不尽と思われる司法のルール。それのおかげか、本村さんは死なずに闘うことが出来た。闘うことになってしまった。

本村さんはエンジニアをされていることもあり、理論的な思考回路を持ち、爆発しそうになる感情を理性でカバーし、適切に言葉にして伝えることが出来ます。

その上で、会見では被告への殺人予告ととれる発言をしたり、マスコミを通じて、一般市民の関心を集め、支援の輪が広がって行きます。

それが全国犯罪被害者の会につながり、犯罪被害者等基本法の施行につながります。

本村さんに立ちはだかる「司法」の壁があり、それを穿つ仲間が増え、その代表者として活動する・・・闘っている最中は「なぜ」という事など考える意味がないほど、戦うことが全てだったのでは。

裁判官は、あなたたち被害者に会う義務もないし、あなた方が裁判官に会う権利もない

もうね、書いているだけでも腹が立つ、山口地裁裁判長の言葉。奥さんとお子さんの遺影を持ち込むことを許されず、もみ合いになった際にこんな言葉を被害者にかけられるのが裁判所なんですね。

ルールと今までの判例の中から出す判決は「無期懲役」。その無期懲役というゴールに向けて理由をつけていく裁判官たち。

余りにも被害者軽視、どころか無視な司法の現場がこの事件をきっかけに、結果変わることとなりました。
犯罪被害者等基本法(平成十六年十二月八日法律第百六十一号)

私に「弁護士は正義の仕事ではない」と教えてくれた弁護士の登場

最高裁に上告されてから出てきました、安田好弘弁護士です。
この弁護士はオウム真理教事件で国選弁護士となり、その姿を見て、小学生の私は
「弁護士というのは、天に誓った正義の仕事ではなく、依頼者が求めることに対してなんでもする、悪魔の職業でないか」
と思ってしまったんですね。それからたとえ人生ゲームで一番給料の高い職業だとしても就きたくない職業と判断しました。

ドラマのリーガル・ハイとかもまさにそんな感じですよね。勝つためなら何やったっていい。

まあその人も最高裁になっていきなり担当されることになったわけで、かなり分が悪い中行った手法がバッシングをくらい、裁判官への悪い材料にもなり最終的には死刑判決へと繋がります。

もうね、その内容はとても信じられるものではなく、弁護士というのは脚本家であり演出家である、と言った方がいいと思います。まあそれはこの弁護士の方だけがしているわけではなく弁護士全般そうだと思っているのですが。

死刑になって初めて感じる贖罪の念

第十一章が「死刑」との格闘という題になっており、アメリカの死刑囚と対談するというテレビの企画の話になっています。

そこでの死刑囚の話を聞いて、死刑判決を受けたからこそ、反省することができるんだなという感想を受けました。

それが狙いでこのタイミングで差し込んでいるんだと思うんですけどね。

元々、死刑判決が無くなったら困ると考えていますので、よりその思いを強くするというか、意義を再確認できました。

殺人を犯している人の人権よりも、殺されてしまうかもしれない私たちのために、予防拘禁として社会に出てこれなくなる方法を考えると死刑です。本の中でも書かれていますが、無期懲役だとここまでの犯罪を犯した者が7年~8年で社会復帰です。

無期懲役になると、いかに早く出所すること、社会に出ることばかり考えて、謝罪どころではないでしょう、無期懲役になるくらいの悪い人なんだから。そういった手段が全て絶たれた時にようやく、自分の犯した罪と被害者家族へと思いを馳せる事が出来るのではと思います。

そう思わないまま死刑執行された人もいますが、そんな人社会に出したら被害が拡大するだけだし、今絶歌を読んだ人たちが愕然としているのもこの人が今社会に野放しにされているという恐怖込みでだと思っています。

少年法の更正能力の限界を超えた異常殺人犯はちゃんと死刑にしていかないと、社会不安が広がるだけである、と今回の少年Aの出版で改めて思いました。

この少年Aが人を殺しでもしないと、その被害者家族が本村さんみたいな活動をしないと変わらないのかな、と最終的に日本の現状に悲しくなりつつも、そんな事件が起こらないことを願います。

調べてみると、本村さんは再婚なさっているとのことで安心しました。新しい家族でも持たないと、全てが終わった後、本村さん死んでしまうと不安になってました。

環境が変わり、恵まれた部分もでき、誤解されることも多いと思いますけど、もし「今の状況を全て捨てたら事件が無い人生に戻れる」と言われたら迷うことなく事件のない人生を選ぶと思うんですよね。
そういう想像力は無くさずに発言をしていきたい。

今回は本の感想外の自分の意見が多くなっちゃいましたが、いろいろ感じ、考えることが出来る本でした。

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