許せない私を、まずは許そう 「明日のあなたへ 愛するとは許すこと」三浦綾子 集英社文庫
あの笑点のもととなった作品、氷点(タイトルをもじっただけで、内容は何も関係ありません)の作者、三浦先生の本。
何かヒントにならないかと、キーワードをグーグル検索した中で、三浦先生の本をピックアップして読みました。
三浦先生の本にして良かった。ヒントの言葉、自分を省みるよすがになる話があり、今の自分に沁みました。
特に
あなたがたのうち、罪のない者が、先ずこの女に石を投げつけるがよい
という「ヨハネによる福音書」の「姦淫の女の話」が。罪のない人間はいない。誰しもが、罰し、罰しられないのだ。
自分を苦しめる思想から、一つ解き放たれたような気持がしました。
さすが、稀代のベストセラー書籍。いいことを言うもんです。(聖書にそんな言い方するんじゃありません)
これは、三浦先生の旦那様の言葉ですが、
次に指す手を三つ考えろ
という言葉。将棋のように、人生でもあてはまる言葉だと、紹介されています。
私もややもすれば自分で選んだはずなのに、強制されている気持ちになり、辛く追い込まれているようになってしまうきらいがあります。
そんな時に「辞めてもいい、続けてもいい、変えてもいい。選ぶのは自分だ」と思えるようになりたいな、と視野が広がって、行動は変わらなくても、自分で選んでいるのだ、と自発的な気持ちを取り戻すよすがとなりました。
ややもすると自分を責めてしまうきらいがある私にとって、まずは許せない自分をゆるすことから、はじめて行こうと思いました。
そして、自虐ではなく、謙虚な気持ちを探していきたいと思います。
同じ生きるなら、こうしか生きられないでなくて、こうも生きられる、という気持ちのゆとりが欲しいものよね。その時、人生が深くなるんじゃないかしら
そしてこの言葉も響いたな。
本当に私たちを支えてくれるものは、いったい何なのだろう。素敵なソファか、大きな冷蔵庫か、ひろびろした住宅か。まさかそうではあるまい。その時私たちを支えてくれるのは、力強い励ましの言葉ではないだろうか。真理にもとづいた慰めの言葉ではないだろうか。
直近で、こういう時に手痛い言葉でずたずたになった時、支えとなったのは慰めの言葉でした。
弱っていた自分には、一般常識に基づいた言葉は響かず、時に刃になるのだと知りました。
あたたかい言葉を私にくれた方たちへの恩は、忘れずにいたいと改めて感じました。
私は自分の持っている趣味の事を半ば「宗教だ」と言うことがあります。
それだけ自分の人生の支えなんですね。
そういったものを持っていなければ、またそういった土台を失ったら、キリスト教に目覚めるのではないか、という気もしなくもありません。
弱った心にお粥のように沁み渡るものだ、と朝夕読むにつけ感じた次第です。