ひょんなきっかけから知った少年の快進撃。「羽生結弦 王者のメソッド 2008-2016」野口美惠 文芸春秋 8/9読了
発売時の新聞の広告を見て気にしていた本を、ようやく発見。読みました。
私の中で羽生選手を注目するきっかけというのが、ちょっと特殊だったのですよ。
基本的には高橋大輔大人気!時代であった2011年春の事。
東日本大震災後、「神奈川スケートリンク」で練習を再開したことはこの本でも書かれています。
実はこの時に友人が神奈川スケートリンクでスケートを習っており、その子と飲んだ際に
「羽生結弦が凄い!!」
という話を聞いたのです。
当時の羽生選手はその前のシーズンで、ジュニアからシニアに上がってきた選手として、ちょっとテレビで見たかなくらいだったんです、まだ。
手足が長くすらっとして顔が小さい日本人離れしたスタイルに、ちょうどショップに立ち寄るタイミング一緒になったところ、ドアを開けて入れてくれたというその紳士さ!!
16歳なのになぜそんな身のこなしが出来るのだ!
という話から、我々が羽生結弦より10歳離れているということに気付き絶望したものです。
そんな彼があれよあれよと強くなり、金メダルを獲得したわけです。
すごい経験したよね、友達!!
そんな彼の、2008年、ジュニア時代から去年の年末、「SEIMEI」に至るまでの羽生選手の思考と行動に密着した本です。
「ハードな練習をさせてくれた親と身体と先生に感謝」というインタビューで感じたひっかかり。
この本を読んで、そんなコメントをした背景がきっちりとわかりました。
ジュニア時代から、好敵手の実力に気づく
まずびっくりしたのが、デニス・テン選手の登場の早さ。
2009年の世界ジュニアの時点で羽生選手はデニス・テンに注目していたとのこと。
こちらは2011年の時点でも羽生選手の知名度がさしてなかった事、
またデニス・テン選手はソチ五輪で驚きの銅メダルだった印象が強いのですが
羽生選手からすると納得の結果だったのかな。
良くも悪くも、言葉の力が強い選手
若い頃はビックマウスとも見えるような発言を続ける羽生選手。
しかし、そうやってメディアを使ったりして発言することで、
それが現実になっていきます。
驚くのが、当初の目標というのが、 平昌オリンピックでの金メダルということ。
2016年の今からまだ数年先!
それが、途中から軌道修正されていき、ソチ五輪でメダルを取る様は、
改めて、圧巻です。
そして恐ろしいのが口にしたその言葉の影響力。
ああ、言ってしまったと思うほど、不安や、負けたくないという言葉が
彼の行動に影響します。
それも彼が言葉に自覚的であるという事なのでしょう。
自分も少しは、この心がけを見習い、力を発揮したいな、と尊敬する思いです。
ブライアンオーサーのマネジメント術/ビジネス能力
羽生選手と言えばオーサーというイメージが強いけど、その前に
17歳で世界選手権のメダルを獲ってしまった。そこからの海外なんですよね。
そこからのチームブライアン入り。
このチームブライアンが、オーサー主役にビジネス本が出せるのでは、
という強い組織だということをはじめて知りました。
それはオリンピックや世界選手権でメダルを量産するよな、と思いました。
メディア対応も含めてばっちりな指導をしてくれますね。
そう、この本で初めて知ったこと、それはテレビと文字媒体との対応の差。
テレビで見ているのはアイドル羽生君で、この本を含む文字媒体とでは敢えてしゃべることから何から変えているんだなぁと。
この本でさえも、本のなかほどにはアイドル羽生君のグラビア付きでしたからね。
だからこそ、スポーツマンとしての饒舌な会見の模様が興味深いです。
絶対王者の冒険は、まだまだ続く。
本を読んで行って、冒頭書いた、ひっかかりのあるコメントがラスト4ページ目で出てきます。
「すべてのものに感謝しています。練習できる環境を与えてくれた方々、コーチ、家族、家族、トロントのみんな、仙台のみんな。ありがとう」
羽生選手は、トラブルも乗り越え、厳しい練習と、厳しい自己洞察を続けてきた。
たくさんの失敗も経て感じる、練習への自信と、感謝の思いに嘘はないし、
こう発言した心の動きも理解できるようになりました。
21歳。平昌オリンピックまで、あと二年。絶対王者の冒険は、まだまだ続く。
来シーズンかその次か、羽生選手を脅かす若手が出てきたら、どう考え、どう発言するか。目が離せません。
野口美惠さん、「チームブライアン」という本の翻訳・構成もしているではないですか。
これは、読みたい。→読みました。(ビジネスマンにも読んで頂きたいな、と思った「チーム・ブライアン」講談社 野口美惠)