20年くらいして急にまた読みたくなった本「一年一組 せんせいあのね」鹿島和夫 理論社
なぜだか急に、思い出したこの本。
小さいころに家にあった本。20年ぶりくらいかな、読み返してみました。
担当のクラスの子供たちとのコミュニケーション
鹿島先生が、受け持ったクラスの子たちと「あのね帳」というノートを介して出てきた詩作を集めた本です。
小学校1年生の子たちが書く、日常で感じたことを書いているものが、自分の中の奥底にあって、それが出てきました。
ぼくだけほっとかれたんや
すごい、印象的な作品。
家に帰ったら、家族が居なくなっていたという衝撃的な話。
母と、新しい継父。二人は、兄と、生まれたばかりの赤ちゃんをかわいがり、自分だけを置いて別のところに引っ越してしまうという。
残された彼は祖父母の元へ。そして最終的には施設へ入るために小学校を離れてしまうという話で。
小学生の頃もインパクトありましたが、この親と同世代になった今でも、やはりインパクトのあるエピソード。
忘れていたけど、今読むとかっこいいせいてつくんの母
忘れていたのですが、今読むと凄いな、と思ったのがせいてつくんのお母さん。
こんな詩がありました。
どうして考えるか、息子にきかれたら
せっかく生まれたならいろんなことをしていろんなことを考えて人生を楽しまないと損、人生を楽しむしもっと人生を楽しむという。
そこで息子さんは仕事や勉強の中にもたのしみがあるんだなと気づいて、勉強の中から楽しみを見つけようかなと思うというものです。
さっと息子に聞かれたときにそんな風に言えるお母さん、かっこいいじゃないか。
同じ本を読んでも、全く違うところで感じたり、あたらしい思いや気づきを得られる。その差分が自分の成長でもあるし、逆に当時いいなと思っていて、今は忘れてしまっている感性もあるんだろうなぁ。
第二部の対談で、補完されるエピソード
詩の後は第二部対談ということで、灰谷健次郎さんと鹿島先生との対談が掲載されています。
そこで家族に置いて行かれたあおやまくんについて詩ではわからない部分が描かれます。
それとともに、鹿島先生のエピソードも。こういう鹿島先生だからこそ、子供たちはこんな風にあのね帳を書いてくれるのかな。
子供時代にはわからなかったけども今読んで、やっぱり裕福な、弱い立場の子に心が行き届かない想像力の無い甘っちょろい人が教師や政治家みたいな職業につくのは好ましくない、という思いを新たに。
自分が読み返したいと思っていたエピソードのうちいくつかはこの対談部分にもあり、この対談も含めて、重要な本の成分だったのだろうと気づきました。
9月16日読了
ヒロセマリでした。