人と違う行動をして、考えるにんげんで居続けたい「ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ」藤原智美 文藝春秋
先日読んだこの記事でも載せた、気になった本をさっそく読みました。
自分の文体を作ること。書き言葉で書くこと。
プリントアウトして、もう一度直して書くという作業を取り入れること。
と、上記の記事で感じておりました。
書き言葉を使って自分で考えること、その重要性が現在増している、ということがわかった実りある本でした。
はなしことば→かきことば→また、はなしことばへ
タイトルを見るとwebコミュニケーションの本かと思われがちですが、「ことば」に対してアプローチを続ける本です。
世界的、歴史の流れの中でどうやってことばの扱いが変わってきているのかを丹念に追ってくれます。
パーソナライゼーションの恐怖
読んでいてぞっとしたのがこの箇所。
さらに恐ろしいことは、ネットがあなたの年収や読書傾向ばかりでなく教育程度まで推測してしまう事です。たとえばあなたがネットで発信したことばの語彙を検証して、たくさんの種類のことばを使っていると、知的で高い教育を受けていると判断されるということもあります。
P192
ネットで見かける、ああ、この人精神が日常社会から逸脱している…というような方や、普通の人のランク付けなども大量のデータからの解析で可能になってしまうんですね。
パーソナライゼーションで受信する情報に偏りがあるので適宜シークレットモードで検索したりと使っていましたが、発信側も当然「見られて」いるんだなぁと感じてぞっとしました。
ことばの背景にある「思考」
その歴史部分も知識としてはためになるものでしたが、やはりこれは、と思うのは第四章部分。
歴史的背景を踏まえ、日本で2017年を、それ以降をどうやって生きていくのか。
ネット時代の到来により、わたしたちは「考えること」が難しい環境に否が応でもさらされているということ。
意識的に「思考」することを行っていかないと、検索結果もそこから導かれるはずの自分の回答も人と同じになってしまうということです。
私は逆に、それがチャンスだと思っているんですけどね。
ネット以外の情報源から入手した情報に対し、手帳やらにメモしたり、頭の中で考えて、その結果をキーボードに打っているのがこういった本の感想記事ですし、毎月誰かしらに手書きで手紙を書くことも、かんがえるという行為が必須になっています。
そういった人と違う行動をして、考えるにんげんで居続けたい、そんな風に改めて思いました。
10月1日読了
ヒロセマリでした。