読んだらそうなるのは必然だったなぁというタイトル「わたくし率イン 歯ー、または世界」川上未映子 講談社
ついに読みました。
川上さんは乳と卵、あとはアンアンのエッセイくらいしか拝見してこなかったのですが(日経新聞夕刊のコラムも担当してらしたかな、それは読んでた←調べたら5年前に担当してましたね)
ご主人の阿部さんは好きでして。グランド・フィナーレはともかく、シンセミアが好きで、アメリカの夜からあれこれ読みました。
そんな二人が結ばれ、子供もできたなんてなんて喜ばしいことでしょう。その子供の血が、言語感覚が妊娠発覚の頃から気になってしようがありません。
そんな川上さん、昔から気になっておりました、このタイトル。
しかしながら、読んだらそうなるのは必然だったなぁというタイトルです。
処女小説なだけに独特な語感はより鋭く、そのリズムに乗るまでに時間がかかりました。
そのあたり、さすが乳と卵では読みやすくなっていたなぁと思いましたが、エッセイやインタビューを読んでいても伝わる、言葉への執着、この世界にいる事への疑義が強く、強く伝わってくる内容に。
子供のころから、ここに書かれているようなことを本当に考えて、気にして生きてきたんだろうなぁと感じました。
ああそういえば。私はもう長く性交をしてないなあ。生むからははるか遠くにおります。かといって処女なわけでもない、かといって生理が退いたわけでもない、かといって、かといって、とかいって、ひと月に四日間、血を出す今日のこのことが、何に対してか大きな無駄、大きな空振りに感じることもあるのやから、この数年の私の体は何であろうな。
P122
このかといって、かといって、からのとかいって、。
峠を上る時のスイッチバックのような効果をわたしにもたらし、また違った方に言葉がうねっていく。
この人の詩作も読みたいな、という気分になり「先端で、さすわ さされるわ そらええわ」読むかーという気持ちになっちゃいました。
これもまたこういうタイトルが適切、なんでしょうね。
10月1日読了