「ふるあめりかに袖はぬらさじ」 有吉佐和子 中公文庫
マツコ・有吉の怒り新党を見ていると数か月に一回出てくる
「名字談義」。ここでマツコさんは有吉さんに
「有吉佐和子先生と同じ」というのを必ず言うんですよね。
それで気になって読んだという。
有吉先生の著書というと昔「恍惚の人」は読んだけどそれっきり。
「複合汚染」と悩んだけど遊女関連の調べ物でも出てきたのでこちらを
読むことにしました。
横浜にある遊女屋が舞台。
その「岩亀楼」というのが今どこにあるのかと思ったらなんと
横浜スタジアム。
灯篭がスタジアムの横の日本庭園にあるらしい。
横浜スタジアムは良く通るのですが、日本庭園があることすら
知りませんでしたよ。
今度見てみよう。
さて、物語ですが、吉原から横浜に流れ着いてきた病気中の遊女が、
翻訳者と恋に落ちる。
なんとか仕事復帰できる程度になったら、アメリカ人に見初められて
しまう。
当時、外人と一度関係を持つと、日本の男は二度と手を出さないという
一文にびっくりしましたが、
日本の人ってそういうところ往々にしてあるな、と
自分も日本人ながら納得。
アメリカ人が嫌なのか、結ばれない恋を嘆いてなのか、ただ
世をはかなんでなのか、女は喉を切り自殺してしまう。
そこから人の噂があらゆる方向に進んでいくのがこの物語の肝。
恐ろしい人間心理を、お園という芸者が操っていきます。
操っているということに気づくのも後半になってからなんですけど。
お園という名前を聞くとどうしても「魔女の宅急便」のパン屋のオソノさん
をイメージしてしまうことと、前半の陽気な、からっとした会話を
見ていたのであれよあれよと膨らんでいく物語に
引きずられていくような形になりました。
ラストシーンはまさに、ふるあめりかに袖も何も濡れて
歩いていく様子が目に浮かぶようで、
ただその脳裏に浮かぶシーンの中で幕が降りるのを待つ、
という気持ちになりました。
その後に「華岡青洲の妻」も入っていました。
NHKでドラマ放送されていたな、この作品も有吉先生の
作品だったのね、と軽い気持ちで読んだら、怖い怖い。
嫁姑の、夫が家にいるかいないかでの真逆な関係性。
母親が息子を愛する強い気持ちは、やっぱり美しくないなと
いつも感じてしまいます。
そんな女通しの争いを見ることによって、
結婚することが怖くてできなくなってしまった
妹の気持ちがよくわかります。
これはドラマ・舞台で繰り返し利用される演目でしょうね。
自分の体を犠牲にして「勝った」と思う女の恐ろしさよ。
男性ははたから見ていても、深淵にある恐ろしさとか
全然気づかないんでしょうね。
もしくは、知っていてしらんぷりなのか。
女は怖いし、男はずるい。
二作あわせて、盛りだくさんの一冊でした。