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哲学や禅の思考を欲するとき

自分が趣味で関わっている組織への潜在的な、5年以上の不満が顕在化した。

ため込んで限界になって爆発するところがまた出てしまったなと思いつつ、自分が不満に思っている点は、自分の力ではどうもこうもならないということはわかる。

その場合、自分が幸せになるためには下記2つの選択肢があったなあ、

1.自分の環境を変える

2.自分の満足の点を変える

という思考になり、あああれだ、「「自由」はいかに可能か」で読んだことを思い出している、と気づく。

実行していたものを言語化できてすっきり「「自由」はいかに可能か」苫野一徳 NHK出版

いっそ、今投じている力を、別のところに投じるように切り替えた方が、幸せな生涯を迎えられるかもしれないな、と思ったけど、やっぱりそうじゃない。

でも、自分が幸せになるためには、ある分野に対して距離を置くという選択肢を取った方が満足度が上がるかもしれない、ということに気づいた。

自分は当然、それを選択すべきで、そこの環境はもっとこうあるべき、といつからか思いこむようになってしまったのだろう。

そう思った日に、自分の目に飛び込んできたのが「本来無一物」。これは禅の言葉ですね。

私の中では、枡野俊明さんの本を読むことで接してきているはず。(関連記事

改めて今、哲学や禅の本を読み返そうと思う。欲している今、読むことで前読んだ時とは違う世界が見えるかもしれない。

幅広く欲深くなっている今の自分をそぎ落とし、本当に欲しているものを明確にしたいと思います。

読書ということをしていて良かったなぁ。

今読んでる本。これを読み終わってから、哲学禅にいこっと。

沁みるー。

ヒロセマリでした。