私なんて女とダメ男を超越した無男。「報われない人間は永遠に報われない」李龍徳 河出書房新社
この間の「死にたくなったら電話して」が気になったので、こちらも読みました。
相変わらずのどんどん悪くなる世界、環境。
これ主人公だからいいものの
組織・団体の中で交わらなったり、バカにされたりしているような人たちが主人公になっていて、本の話を進めていきますがこれが自分と、おんなじ組織にいたら、やっぱりそんな仲良くならないんだろうなぁ。
余りにも「私なんか」と自己卑下を繰り返す人って、その言葉で終わっちゃって、続きが無いから話盛り上がらないし、たまにスイッチ入っちゃうと自分の好きなものをまくしたてられ会話が成り立たないという。
映子は、僕以上にそういう、世界をちぐはぐなものに化してしまう宿命の持ち主であった。
P131
おそらく、場がしらけ切った時に我に返り、家にかえってからまた自己否定。
反省して、改善点を見つけて何か行動に動いてくれればいいんだけど、「私なんか」ってマジックフレーズでそこで思考停止しちゃう感じあるから、改善されないんだよなぁ。
力無い、新しいタイプの男性
この方の著作、二作読んできて思うのが、周りを心の中で罵倒し、自分を優位に立たせよう、という思考が主人公に薄いねぇ、ということ。
コンビニ人間とか、男クズなのにすごいくらいに俺は凄いっていう感じだったのにね。
(何か不安が残る、けど面白い「コンビニ人間」村田沙耶香 文藝春秋)
もう、そういうダメ男を超越した、無さ。む。
それこそが「報われない人間は永遠に報われない」人間の特徴なのか。新しい若者像、なのでしょうか。
自分をお前らクズよりも上に置きたい、俺に対する今の処遇が耐えられない、という思いすら強く持たず、緩慢に、けど悪い方に一方通行で転がって止まらない人生。
40歳前でこうなった人たちが、私の同級生にもいるのだろうな、と考えさせられる箇所もありました。
この本が刺さる人もいると思いますが、本当に救われた方がいいような人は、もはや日常の中で本すら読まないのではなかろうか、と思ったり。
次はまた、どのような未来の暗い話をしてくださるのでしょうか、李龍徳先生。
10月15日読了
ヒロセマリでした。